20180415

めいそうしようよ

最近、仕事上のストレスが多いので、通勤途中に近場の神社に立ち寄ることが多くなった。早朝の神社といえば「清々しい」の代名詞(あるいはスポ根漫画的自主トレのメッカ)と言えるだろう。いるだけでなかなか気持ちがよい。

別に全く信心深くはないのだが、時折、せっかくだからと拝んでいる。怒る人もいるかもしれないが、お辞儀を忘れることがあるぐらい所作はいい加減。お賽銭は入れたり入れなかったり。
目を閉じて願い事を考えてみるも、何も浮かばず結局「心穏やかに過ごせますように」となる。よくよく考えてみるとここ10年ばかりずっとコレだ。
さりとて、これが全く無意味かというとそうでもなさそうだ。心穏やかに過ごすためにはとりあえずどうすればいいか、とか考え出すことができたりするので、心の整理になる。

もしかすると、これが瞑想というものなのかもしれない。「瞑想は心の健康にいい」とか聞いても、「ヒットポイントが500回復するのはドラクエ5だっけ」とか「アバタールになるのに必要なんだっけ」とビデオゲームのことしか従来は浮かばなかったのだが、齢35にしてようやく瞑想の意味を知ることができたようだ。

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