20180228

2018年2月まとめ

2018年2月の1型糖尿病関係まとめ記録。とりあえず禁煙も込み。

インスリン注射

 19日に病院で処方。20日にスタート。1日1回、朝に持効型インスリン(トレシーバ)4単位を皮下注射。最初の1、2回は手間取ったがすぐに慣れた。痛みもない。ただ、基本的に自宅で注射しているので、外出時に上手くできるかは不明。

血糖値測定

FreeStyle Libreを使用。とりあえず右腕上腕部にセンサーを装着。最初は気にならなかったが、次第になんかセンサーが浮いているような感触がしだす。触って確かめてみるとなんともないが、妙に気になってしまう。そのため、無意識に力が入っているのか妙に筋肉が凝る。皮膚に異常はないようだ。
2~3日に1回、指を穿刺して血を出して測定している(SMBG)。 最初はもっと頻繁に行っていたが、使い捨ての電極が次の診察までもたなさそうだったので頻度を落とした。センサー計測とSMBGの差異はそれほど大きくない。5%~10%ぐらいなので問題なさそう。

食事と血糖値

血糖値の目標を、
空腹時血糖130mg/dL未満
食後2時間血糖180mg/dL未満
としていろいろ実験した。糖質量だけではなく、ほかの要素によってもかなり変動してくるが、おおむね「五目野菜炒め定食(ごはん1/3膳)」で食後2時間が200mg/dL前後になるっぽい。食後3時間ぐらいすると血糖値は下がりだす。糖質1gあたり3~4mg/dL上がっている気がする。
現在のインスリン量の場合、1食あたり糖質量は20g~30g以内に抑えていけば目標範囲を維持できるようだ。食うものに結構、困るが。

禁煙

医師に直接的に指示されたわけではないが、同時に禁煙も開始。19日に半日吸わなかっただけでフラフラになったので、根性禁煙は不可能と判断。禁煙外来にてチャンピックスを処方してもらう。最後に吸ったのは20日の朝に1本(いわゆるキャスターマイルド)。
禁煙開始後、数日は胸焼けと便秘。1週間程度で改善した。「ニコチンほしい感」も禁煙初日をピークにだんだん減ってきている。また、徐々にヤニ臭さというものを感じられるようになってきている。
ただし、チャンピックスの効能にあるらしい「タバコがまずくなる」というのは経験していない(飲み始めてから吸っていないため)。最後の1本は美味しく感じていたので、しばらく(永遠に?)その甘い記憶と戦うことになりそうだ。

20180225

100均と禁煙パイポと私

相も変わらず試行錯誤。いくつかはコツを掴んだり、未だに意味不明だったり。
インスリン注射の空打ちは、注射器を上に向け、噴出してもいいようにティッシュでフォローしながら1単位発射という方法で安定してきた。……自慰行為とやっていることが変わらん。
どれだけ食ったらどれだけ血糖値が上がるかはよく分かっていない。今のところ失敗したのは、
・ヘルシー系駅弁(ごはん半分とミニ大福を残したのにダメ)
・プレーンヨーグルト200g、低糖クロワッサン1個
・チーズ20g、ミックスナッツ30g、から揚げ2個
とか。状況によってずいぶん上がり方も変わるようだ。あと、揚げ物の衣は結構やばいのかもしれん。
その一方でお米を食べたら即アウトというわけではなく、今日の夕食の
・野菜炒め、ツナチーズin油揚げ、ご飯1/4膳
ではMax160台となかなか。

ネット上の情報を漁っている限りでは、2型糖尿病向けの情報が大半であるし、食事についてはカロリー制限なのか糖質制限なのかよく分からない。ただ、現時点での私はインスリン注射量が固定なので、まともに糖質を摂ると一気にレッドゾーンに突入してしまう。どうしても糖質量を制限せざるを得ない。
しかし、体重はこれ以上減らすとヤバい。172cmで54kgはギリギリ過ぎる。となるとカロリーはタンパク質と脂質で摂っていくことになるが、タンパク質過剰だと腎臓に負担がかかるやら、脂質は飽和脂肪酸やオメガ6の過剰が危険だの、色々あってややこしい。腰を据えて勉強しなければならないようだ。
(というか持効型インスリン1日1回なのでこうなっている気がしないでもない。食事の度にインスリンを追加注射する強化インスリン療法に入ってしまったほうが、もしかして食事の選択肢は広いのか?)

なお、禁煙状況はあまり変わらず継続中。便秘は次第に改善してきたようだ。チャンピックスのおかげか、イライラしたり妙に眠いということもない。ただ、禁煙3日目あたりよりも今のほうが、何となく「タバコ吸いたいな」と思う回数が増えてきている気がする。禁煙パイポを加えている時間が少し長くなった。
なお、禁煙パイポとは割と古い付き合い(?)で、学生時代、タバコを吸ってもいないのにパイポをくわえている時期があった。その時代の懐かしさと気恥ずかしさを味わえるので、パイポを吸っているときの気分は悪くない。
なお、禁煙パイポとは、マルマンという会社が出しているこれのことを指すはず。コンビニでも3本300円ぐらいで売っている。バリエーションでリラックスパイポなどもある。1本で1日ぐらいもつのだが、1本100円と考えるとコスパは微妙かもしれない。
と思っていたら100均で3本100円のパチモンを見つけてしまった。やや小さめで香りも微妙だが悪くない。インスリン注射に必要なものを入れるツールボックスや袋も100均で揃えたし、上手くすると現在の私の主食であるナッツ類もスーパーより安い場合がある。100均はデフレの申し子と言っても過言ではないと思うが、最近の私は助けられっぱなしである。

20180222

数日経って

インスリン注射を始めて、また、禁煙を始めて概ね3日ほど経った。現時点の感想を列挙。

インスリン注射

現在は朝に持効型(トレシーバというやつ)を4単位打つだけ。注射自体は簡単で痛みもない。今のところ1回5分。もっとオペレーションに慣れれば1回2~3分でやれそうだ。
注射器に針を取り付けたら空打ちすることになっているが、教わったのは上に向けてボタンを押し、液が出ることを確かめる、というもの。しかしこれだとインスリンの液体が飛び散る可能性がある(1回やらかした)。どこでやるのがよいだろうか。あるいは、洗面所で下に向けて空打ちしたらいけないのだろうか?

血糖値測定

基本的には、右腕に装着したセンサーに端末を近づけるだけなのでお手軽。職場でもやり過ぎなほど測定している。しかも測定時以外の継続的な記録もとれている(たとえば寝ている間の記録も自動でとっている)という優れもの。
一方で、時折は血液を出して測定を、と言われているので、自宅にいるときは割と指に針を刺して測定している。針を刺しても痛みはないが、血が止まるまでに時間がかかったりして鬱陶しい。ミニばんそうこうを買ってこよう。
しかし、血液で測るのは自宅以外ではなかなか面倒そうだ。職場の自席で、というのはちょっと気が引ける。そう考えると端末を腕のセンサーに近づけるだけ、という最新技術の恩恵は偉大なものがある。私の場合はセンサーで測ると、血液で測るよりちょっと高めの数値がでるようだけど。

目標血糖値

とりあえず日本糖尿病学会の、糖尿病診療ガイドライン2016にある合併症予防の目安、
空腹時血糖130mg/dL未満
食後2時間血糖180mg/dL未満
を目標にしてみる。現時点ではインスリンを打つ量が固定なので、食べるもののほうで調整する形だが、これがなかなか面白い。
低糖質パン(ただし、ふすまパンではなく通常の小麦粉)とプレーンヨーグルトで糖質20gを摂取したら血糖値が200を超えてビビったり、同じ糖質20gでも、ごぼうサラダとチキンステーキとナッツなら血糖値が大して上がらない(というか4時間ぐらいかけてわずかに上がる)、といった具合にセルフ人体実験ができる。今度はふすまパンで試してみよう。

禁煙

チャンピックスのおかげか、ニコチン切れでイライラしたり全く集中できない、というのは初日だけで、2日目、3日目は割と普通。この薬は8日目までは喫煙していいらしいが、2日目から喫煙数0本になっている。
仕事中は30分に1回ぐらい「あ、吸いたい」と感じてしまうが、その度にヘドバンしたり禁煙パイポ弄んだり、無糖のガム噛んだりして乗り切れている。
ニコチンの離脱症状か薬の副作用かは全く分からないが、今のところ不調としては、「胸焼けがする」「便秘」といったところ。前者は我慢できるが、後者はこれ以上続くようなら対策を講じねばなるまい。

20180219

インスリン注射始めるよ

これまで通っていたところで紹介状をもらった総合病院を受診する。平日なので職場は休暇をとった。予約は取れなかったので、外来受付開始の45分ぐらい前に行ってみる。上手く最初の整理券をゲットできたので、それほど待たずに診察室へ。
診断はこれまで通っていたところと同じ。1型。すぐにインスリン注射を始めたほうがよいが、まだ少しはインスリンを分泌する能力が残っているので、1日1回の持効性インスリンを注射するところから始めよう、と。さらに、いずれインスリン分泌能力を失う頃からは毎食時の注射が追加され1日4回となるが、その時は指導入院が必要になるであろう、と聞かされる。

かくして、色々なアイテムをゲットし、チュートリアルも受ける。ペン型の注射器、血糖値測定器、血を出すための穿孔器、などなど。
面白いのは血糖値測定器で、上腕部にセンサーを取り付け(フィラメントを刺す、別に痛くはない)、センサーに端末を近づけるだけで推定血糖値が出るタイプ。センサーは2週間付けっぱなしで入浴も運動も可。
よって、現在、私の右腕にはセンサーがぶっ刺さっている。サイボーグの末席に名を連ねたと理解してよいだろうか。
ただし、このマシンで出るのはあくまで推定なので、時々は血液を直接採取して血糖値を測る必要があるそうだ。さっきちょっとやってみたが、これはこれで実験っぽい感じ。飽きないことを祈りたい。

1か月後の再診を予約して終了。何とか午前中に終わる。1日、休暇をとってはいたが、職場はすぐ近くなので顔を出してみる。上司にいろいろ説明しているうちにニコチンが切れる。朝、家を出るときに喫煙したっきりだった。
タバコを買いに行くか悩む。いっそのこと禁煙すべきなのでは? 手動血糖管理のプロになったとしても、血糖値が高い時間はそれなりに出るだろうし、それだけ全身の血管にダメージが及ぶ。そこに喫煙による追加攻撃を加えるのはさすがにヤバそうだ。
さりとて根性で禁煙するのは難しそう。7時間、喫煙していなかっただけで手が震える、胸が重い、脳内意味不明という有様。メールを2本返信して、稟議書1つチェックするだけで30分かかっている。
これはやはり医師の力を借りるしかあるまい、と思い、昼過ぎに職場を脱出して禁煙外来へ。どうせ休暇扱いの日だし、平日に病院に行けるチャンスを逃すのはもったいない。
ニコチンパッチorチャンピックスという選択肢を提示されたので、もともと興味があったチャンピックスを選択。かなり勢い余っている感もあるが、まあいいだろう。自分の体を使っていろいろと実験をしてみる時期と位置付けよう。禁煙したらインスリン代と相殺できそうだしね。

さて、今後しばらくはこんな流れになりそうだ。
【朝】起床→血糖測定(血・センサー)→インスリン注射→朝食→血糖測定(センサー)
【昼】血糖測定(センサー)→昼食→血糖測定(センサー)
【夕】帰宅→血糖測定(血・センサー)→夕食→チャンピックス服用→血糖測定(血・センサー)→就寝
センサーによる測定結果がある程度、確実になってきたら血液による測定は減らせそうだが、今週はこのぐらいやっておこう。

20180215

最初に診断されるまで(2)

最初に診断されるまで(1)の続き。


2018/1

ちょっと空けて再受診。HbA1c(NGSP)7.1%、空腹時血糖121mg/dl。なんなんですかねこれは。
11月末に1週間ほどアメリカ出張に行って大分やられたけど、こんなに数値が上がるほどではなかったはず(昼飯はいつもPanda Expressだったけど主食は蒸し野菜だったし)。年末年始も注意していたのに……。
インスリンの出方がおかしいのかも、ということで、分泌を促進する錠剤(グラクティブ12.5mg)を処方される。1日1回飲んでると低血糖というほどではないがやけに腹が減る。

2018/2/10

2週間後に再受診。HbA1c(NGSP)7.3%、空腹時血糖138mg/dl。上がってるYO! しかも尿からケトン体が出てるYO! こいつはおかしいということで詳しい血液検査に。
今度は倍量の錠剤(ジャヌビア25mg)を処方される。やはり飲んでいると腹が減る。

2018/2/15

仕事中に病院から電話。「次の受診は月末の予定だったが、来週にでも来られないか。早く来てもらったほうがよい」と、思いっきり不安になる内容。こんな心境で待たされてはかなわん、と、仕事を早退してこの日の夕方に病院へ。
血液検査の結果、抗GAD抗体(ELISA)が2000オーバー(基準値は0~4.9)。今回の血液検査の検出限界を超えた数値のようだ。で、これは膵臓のβ細胞が破壊されているときの典型的な数値だとのこと。要するに1型糖尿病。
生涯インシュリン注射が必要になるということは知っていたので、さすがにちょいと動揺した。落ち着くためにこの文章を書いているのかもしれない。ただ、インシュリンの数値は1.52(基準値は1.84~12.20)なので、現在のところ完全に分泌能力を失っているわけではないらしい(内服薬でブーストされているけど)。
ここで、1日1回の持効性インスリン注射を始めるか、総合病院を改めて受診するかを医師から問われた。ちょっと考えたり調べたりする時間がほしかったので、後者を選択。紹介状を書いてもらい、2/19に受診することにした。

診察室を出て、支払いを待っている間に看護師から、『1型糖尿病と診断されたあなたへ』という冊子を渡された。1枚めくると、ショックだろうから今日はここで読むのをやめても構わない、という旨のことが書いてあって少し面白かった。


最初に診断されるまではこんな経過。今の心境としては別に絶望しているわけでもなく、なんというか、
「こいつぁ面倒なことになったなぁ」
という感覚。 私は面倒くさい性格をしているのに、面倒くさいことが嫌いなのである。さりとて結局のところ、やってみるまでは分からない。今後、絶望するかもしれないし、もしかすると面倒くささを楽しめるようになるかもしれない。
超優秀なオートマチック機構を外して、血糖値マニュアル管理おじさんになったわけなので、その技術を磨いていくしかあるまい。テクニックを磨くのは好きな性分なのでそれに期待しよう(これぞまさに面倒くさい性格)。

最初に診断されるまで(1)

1型糖尿病と診断されるまでの経過はこんな感じ。

2014/6

定期健康診断で、HbA1c(NGSP)が5.7%と高めの判定。
空腹時血糖は89mg/dlで正常範囲だし、体重62kg(身長は172cm)というのはここ10年ぐらい変わっていなかったので、あまり気にせず。

2015/6

定期健康診断で、HbA1c(NGSP)が5.6%、空腹時血糖が86mg/dl。前年とほぼ変わらず。

2016/6

定期健康診断で、HbA1c(NGSP)が6.2%と上昇。空腹時血糖はわずかに上がって90mg/dl。体重はほぼ変化なし。
この頃、職場近くに引っ越したので「通勤時の運動量が減ったせいかな」などと考える。以降、食生活の改善を志し、糖質を抑えたり、難消化性デキストリン入りの飲料を飲んだり。
健診票は要経過観察となっていたが、今、思えばこの時点で病院に行っておいたほうがよかったかも。

2017/6

同じく定期健康診断。HbA1c(NGSP)がまさかの6.8%。なのに空腹時血糖は下がって72mg/dl。体重も4kg減って57kg。
「なんだこれ」ということで病院へGO。

2017/7

近場の糖尿病内科へ。そこでの測定結果はHbA1c(NGSP)6.5%と少し改善した数値に。ただし空腹時血糖は97mg/dl、体重は58kg。
1型糖尿病の話もされたが「それは滅多にいないので」ということで食事療法と運動療法の指導を受け、経過観察。

2017/9

夏を越えて再受診。HbA1c(NGSP)6.2%と改善していて喜ぶ。体重は1kg減。空腹時血糖は111mg/dlと高めだったが、まぁこの調子で頑張ろう、と。


最初に診断されるまで(2)に続く。

成育歴など(2)

成育歴など(1)の続き。


19歳~22歳(大学生)

大学入学にともない上京。以後はいわゆる一人暮らしで、「自炊は稀に、大半が外食、時々思い出したように野菜ジュース飲んだり、食堂で小鉢増やしたり」みたいな食生活が続く。体重は高校時代より減って60kg台前半。172cm62kgと考えれば健康的な体型だろう。
大学のガチ山岳部は怖かったので登山サークルに。活動の度合いは高校時とあまり変わらずだが、週二回の飲み会が増えた。私はいろいろやらかしてしまったが、やはり居心地がよかった。
なお、高校時からのゲーセン通いが高じて、アルバイトはゲーセン店員。6年弱、地下ゲーセンの住人を続けた。

23歳~25歳(大学院生)

就職するというビジョンが見えなかったので何となく大学院に進学し、しかも修士課程を3年かけるという、とんでもない親不孝をやらかす。2年目に修論が全く進まず、そこでようやく「あ、自分は勉強好きじゃないや」と気が付く始末(大学院生だが「研究」に至っていないレベル)。ただ、そこそこ今の仕事の役に立っているので、無意味な期間というわけではないと思う。
ちなみに23歳の時、ついに花粉症発症。もともと慢性鼻炎気味だったが、とめどなく鼻水が出るというのを初めて体験する。以降は毎年春・秋に鼻水祭り。
25歳になるかならないかの時、おそらく「友達」と呼んでいいであろう人の葬式に初めて出席する。

26歳~27歳(サラリーマン1)

就職する。必ずしも望んでそうしたわけではないが、月360時間は働いていたので、これは明らかにworkaholicと言っていいレベルだったろう。明確な疾病の記憶はないので、肉体的にはもっていたようだが、精神的には大分イっていた気がする。
27歳の春ごろ、眠気覚ましにタバコに手を出し常習化する。だいたい1日1箱前後。セブンスター・レボ・スーパーライトがお気に入りだった。

28歳(無職)

2年4か月働いた時点で、「一生は続けられないな」と思い、ちょうど一つの目標を達成した頃でもあったので、実家に帰るという建前で会社を辞める。1年ほどプータロー期間。
この頃、派手なアレルギー性皮膚炎にかかる。皮膚科で処方してもらったステロイド剤の効き目に驚く。
震災の影響でセブンスター・レボが生産中止になってしまったので、どこででも手に入るキャスターマイルドに乗り換える。

29歳~35歳(サラリーマン2(現在))

貯金が尽きた頃に今の職場に拾ってもらう(実際は少し両親から借金した)。見る人によってはまだ多少workaholicかもしれないが、前の職場に比べるとかなり健全な働き方をする。
ずっと続いていたゲーセン通いにも飽き、ともに歩むパートナーも、育てるべきこどももいない状況で「この先どうすっかな」と思っていた35歳、1型糖尿病の診断を受ける。
「暇そうなやつがいるので珍しい経験をさせてやろう」という誰かさんの思し召しだといいね。

成育歴など(1)

病気になると人生を振り返りたくなるものだ。この際だからありがちなことをなんでもやってしまおうと思う。主に身体的なことに焦点をあてて記憶を掘り返してみる。

0歳

某政令指定都市で誕生。10か月でまったりとした地方都市に移る(おかげで今でも人口5万人~15万人ぐらいの地方都市の雰囲気が大好きだ)。以後、父母兄とともに何一つ不自由なく、という恵まれた家庭環境で育つ。

1~4歳

ほとんど記憶がない期間。特に大病もなかったのではないかな。一回、熱を出した時に髄膜炎を疑われたと聞いたことがあるが何ともなかったはず。

5歳(幼稚園年中)

おそらく私の最も古い宣言的記憶はこのあたりから。運動会の昼食でアメリカンドッグを食べたことを明確に覚えている。

6歳~8歳(幼稚園年長~小2)

学校の図書室に籠るのが好きだった気がする。学研の学習漫画をひたすら読んでいた。ウミヘビを初めて知ったのは『有毒生物のひみつ』だったはず。

9歳~12歳(小3~小6)

ほっとくと運動しない私だったが、父母の勧めや兄がスポーツマンである影響のおかげで、サッカー少年団、テニススクール、スイミングスクールといろいろ通った。そのため、困らない程度(中の下ぐらい?)の基礎体力を手に入れたと思う。11歳ごろから視力が落ち始める。

13歳~15歳(中学生)

中学では結局サッカー部に。基本2軍にいて時折1軍の控え、みたいな感じ。左サイドバックが多かった。実は筆記・食事などの細かい仕事は左利きなのだが、投げる・打つ・蹴りは右利きという、日本社会では最も損な組み合わせである。それでも純右利きの人よりは左足が動いたので、少しは得だったかもしれない。
なお、小4~中3の6年間の対外試合でとった得点は(練習試合含め)2得点のはず。自殺点は1つ記憶にある。

 16歳~18歳(高校生)

このあたりで身長がだいたい決まる。171cm~173cmの間ぐらい。また、眼鏡をかけるようになる。
球技に見切りをつけ(とんでくるボールが怖いというのが治らなかった)山岳部に。日頃からトレーニングがあるというわけではなく、春夏秋と月1ぐらいで登山するのが活動。半分ぐらい文化部的で居心地がよかった。ただし通学が自転車で往復40分、しかもアップダウン有なので、下半身はかなり鍛えられた気がする。
高3の受験シーズンが最も体重が重かった時期だろう。最大で71kgぐらいあったはず。


成育歴など(2)に続く。